書き残すことへの執着

二年半前、母からコクヨのキャンパスノートをもらった。

色はピンクでありページ数は100に及ぶ。

私に日記を付けよ、ということであった。

そういえば、今まで二十数年生きてきて「文章で残すことは大切やで」と幾度言われてきたか知れない。思えば、父も母も文章で残すことにやたら執着がある性質のようで、「もしわしがあの時のことを文章で残していたら」とか「おかあちゃん死ぬまでに本を出せたら」とかよく言っていた。実家から離れて久しいが、多分今でも言っていると思う。

もし、自分の書いた文章が、後世まで残るとしたら、各々悔いのない人生を送れるのだろうか。私の両親の言葉からは、書いた文章を人様に読んでもらうことにより、自分の生きた証拠とでもいえる”何か”を残したい欲が感じられてしょうがない。

 

文章を継続して書けるのは才能だと思っている。継続という高いハードルを前に早くも心が折れそうである。現に、私のピンクのキャンパスノートは初めの10ページ程しか埋まっていない。

 

金太郎飴のような毎日でもたまには隣にクマがいたり、マサカリを担いでいたりするようなそんなささやかな日常を書き残す、という夢物語を始めようとしている。